プリンセス天功さん、実は若い頃「朝風まり」という名前でアイドル&歌手として活動していたのをご存知ですか?
1978年に“歌ってマジック”を披露する異色のスタイルでデビューしました。
その華やかな日々から、現在のイリュージョニストとして覚悟を固めたきっかけなど、当時の様子を当時のプロマイド写真や歌レコードを交えてわかりやすくご紹介します。
アイドル天功さんを知ると、現在のプリンセス天功さんへの見方がグッと深まるかもしれません。
- プリンセス天功さんが「朝風まり」名義で活動していた若い頃の経歴
- 1978年にリリースされたシングル「ザ・マジック」について
- 歌いながらマジックを披露する独自スタイルのアイドルだったこと
- 幼少期から芸能活動を開始し、子どもモデルや体操コーナー出演経験があること
- 鼓膜破裂の事故や難病など、波乱の若年期を乗り越えてきた背景
- 初代引田天功の後継者として襲名し、イリュージョニストへ転身した流れ
- 「生きた証を残したい」という思いが芸能・マジックの原動力になっていること
朝風まりの生い立ちと若き日のエピソード

引用元:週刊女性PRIME
- 新潟県出身の3人きょうだいの次女として生まれる。
- 母は新潟県高田藩主・榊原家の末裔、父も由緒ある武家の血筋。
- 幼少期から着物の着付け、日舞、ピアノ、クラシックバレエなど多くの習い事に励む。
- 乳幼児のときに「頭蓋骨破裂」という難病と判明。
➡ 本来閉じるはずの頭蓋骨が閉じておらず、命に関わる状態。 - 治療のためにアメリカへ渡り、手術を受ける。
➡その後も病弱な体質は続いた。 - 母親は「18歳まで生きられないだろう」と覚悟していた。
- 「この子が生きていた証しを残したい」との思いから、両親は芸能の道を勧める。
- 高校生のときに上京し、母のいとこである森康明氏の芸能プロダクションに所属。
➡このプロダクションの代表は、初代引田天功(日本の脱出王)だった。
デビューは1978年!朝風まりとして歌ってマジック

引用元:chantoweb
78年シングル「ザ・マジック」でデビュー
朝風まり名義で、1978年19歳のにCBSソニーから「ザ・マジック」をリリース。
マジックを取り入れた歌手として注目を集めました。
ある日、フジテレビのプロデューサーが、「歌って踊ってマジックする子が欲しい。おたくの事務所に可愛い子がいるって聞いたんだけど」と訪ねてきて。自分で言うのもなんですけど(笑)。そして、1978年にマジックを披露しながら歌うアイドル歌手、朝風まりとしてデビューし、レコードも出しました。
引用元:CHANTO WEB

引用元:Yahoo!オークション
同期にはサザンも!ステージ裏話

朝風まりとして活動していた頃のインタビューなどから明らかになった内容で、芸能界でデビューした1978年当時のリアルな様子を伝えています。
オーディション会場で顔を合わせる仲だった
天功さんは当時のことを振り返り、テレビ局のオーディションなどでサザンとよく一緒になっていたと語っています。
控室では「どうだった?今日はうまくできた?」といったやりとりが交わされ、和やかな空気だったとのことです。
その後、天功さんはアメリカへ
日本でのアイドル活動後、天功さんはイリュージョニストとして本格的に活動するためアメリカへ渡ります。
このため、サザンのその後の活躍はリアルタイムでは見られなかったとも明かしています。
デビュー前は子どもモデル&体操にも出演

引用元:amazon

とっても可愛らしいですね!
3歳からモデル、雑誌や「8時だョ!全員集合」にも登場


引用元:youtube
幼少のころから子どもモデルとして活躍し、雑誌だけでなく「8時だョ!全員集合」でも体操お手本役として出演経験があります。
- 3歳の頃からモデルとして芸能活動をスタート
- 母親が洋裁・和裁の先生だった関係で、子ども向けファッション誌「装苑」にモデルとして出演
- ティーン時代には、「プチセブン」や「Seventeen」といった人気雑誌にも登場
- 15〜16歳の頃には、「8時だョ!全員集合」(ザ・ドリフターズの人気番組)にレギュラー出演
- 番組では、体操コーナーで仲本工事さんと一緒に体操のお手本を担当
鼓膜破れからの復活とイリュージョン転身


引用元: 週刊女性PRIME
20歳頃、脱出マジック公演中に鼓膜破れのアクシデントがありました。その後、命の危機を乗り越えてイリュージョニストへの覚悟を固めたそうです。
鼓膜破れで体を張った大脱出ショー
- 16歳、初代引田天功の代役として大脱出チャレンジ
初代引田天功師匠の突然の入院で、プリンセス天功さん(当時はアイドル希望)が抜てきされ、非常に危険な脱出イリュージョンを担当することになりました - 爆発・脱出ショーで鼓膜が破れても演技を継続
爆破演出中にショーの安全装置が誤作動し、爆炎が発生!その直後に鼓膜を破るほどの衝撃を受けましたが、天功さんは舞台上で冷静に対応。そのままショーを最後まで成し遂げたことで注目を集めました。



プロ意識が凄すぎます!!
死の危機も!命がけの覚悟
- 鼓膜の再生手術を含む治療を経て、大きな心の転機に
事故を機に「本気でイリュージュニストになる」と覚悟を決意したそうです。命の危機を乗り越えたことで、舞台への想いが一段と強くなったと語っています。
以降の挑戦も全力投球
- 鼓膜破れは氷山の一角
その後も水中脱出失敗で重度の一酸化炭素中毒に、串刺しパフォーマンスで骨折など…天功さんは何度も死と隣り合わせのパフォーマンスを乗り越えています。 - 命を懸けると覚悟した初披露が原点
16歳で体験した鼓膜破損が、以降の演技スタイルを形づくる起点になったことは、天功さん自身が「あの経験が私を天功にした」と語るほどの人生の転機となりました。



現在につながる、まさに運命の瞬間だったんですね!
「18歳まで生きられない」からの逆転人生


引用元:週刊女性prime
18歳まで生きられないという宣告
幼少期から体が非常に弱く、病気がちだったプリンセス天功さん。
本来閉じるはずの頭蓋骨が閉じておらず、命に関わる状態だったとのこと。乳幼児のときに「頭蓋骨破裂」という難病と判明し、治療のためにアメリカへ渡り、手術を受けました。その後も病弱な体質は続いたようです。
医師から「18歳まで生きられないだろう」と宣告されるほど、深刻な健康状態だったことが語られています 。
その背景にあった強い想い
「短い命なら、とことん輝きたい」との思いから、歌手や舞台女優といった芸能界を選び、夢への道を歩み始めたそうです 。
両親は「この子が生きていた証しを残したい」との思いから、芸能の道を勧めたのが現在の天功さんに繋がるきっかけでした。
高校生のときに上京し、母のいとこである森康明氏の芸能プロダクションに所属。このプロダクションの代表はが、初代引田天功だったというからびっくりですね!



まさに、導かれた…とでも言えそうだなと思えます。
関連記事




まとめ
幼少期からアイドル時代、そして現在の天功さんまでの軌跡を知ると、プリンセス天功さんの“今”にもより感動しますよね!
歌いながらマジックを披露する独自スタイルのアイドルでしたが、「生きた証を残したい」という思いが芸能・マジックの原動力になっていたのです!
- 「朝風まり」として1978年デビュー、マジック×歌を披露
- 3歳から芸能界入り、「8時だョ!全員集合」出演など多彩な経歴。しかし、幼少期から体が非常に弱く、病気がちだった
- 鼓膜破れなど“死の境”を乗り越え、16~18歳でイリュージョン転身
- 初代引田天功の後継者として覚悟を決め、イリュージョニスト人生へ
コメント