48歳で人生を大きく変えた男性がいます。26年間続けたジュエリーデザイナーの仕事を手放し、独学で画家の道へ踏み出した青山哲士さんです。明石家さんまさんの番組「さんま画廊」で4,500点の応募作品から選ばれ、一躍注目を集めた彼の作品は、個展を開くたびに完売という驚異的な人気を誇ります。
亡き父の「50歳で画家になる」という夢を受け継ぎ、自身も50歳を前に大胆な決断を下した青山さん。HSPやADHDといった特性を「創作における才能」として前向きに捉え、カラフルで独創的な「遊べるアート」を生み出し続けています。
本記事では、そんな青山哲士さんの波瀾万丈な人生と、ジュエリーデザイナーから人気画家への軌跡を詳しくご紹介します。
青山哲士とは?
経歴・年齢・出身地
青山哲士(あおやま てつじ)は1971年10月8日生まれ、愛知県出身の画家・元ジュエリーデザイナーです。2025年現在53歳で、ジュエリーデザイナーとして成功したが、画家になる夢をかなえる為、思い切って廃業し、2019年6月から独学で絵画制作を開始した異色の経歴を持つアーティストです。
明石家さんまさんが司会を務める日本テレビ「誰も知らない明石家さんま」内の「さんま画廊」プロジェクトで4500点の中から見いだされ、一躍注目を集めました。現在は国内外で精力的に個展やグループ展を開催し、作品は毎回完売する人気画家として活動しています。
幼少期〜学生時代のエピソード
小学校の頃からいつも明るく人気者だったが、忘れ物が多くじっとしていることが苦手だったので、
通知表には毎回「落ち着きがない」と書かれていた。
勉強よりも絵を描くことが大好きで教科書は落書きだらけ。
好きな図画工作の授業には集中力を発揮して好成績だった。
という、現在のアーティストとしての才能を早くから見せていました。
しかし、8歳の時、公務員だった父の突然の死で母子家庭となり、生活は困窮するという辛い体験も経験しました。この父親は絵を趣味としていて「50歳になったら仕事を辞め東京で画家になる」という夢を持っていた人で、後に青山さんの人生に大きな影響を与えることになります。
青山哲士の学歴と若いころ
学校生活と得意だった事
高校に入っても集団行動が苦手で、人と違う考え方、違う行動をとることが多く、同級生たちとコミュニケーションが取れず、学校生活を楽しめずに悩み、1人で海外アーティストのライブに行くのが唯一の楽しみだったといいます。
青山さんは後に自分がHSP、ADHD、ASD、強迫性障害なんだと知ったと語っており、学生時代の生きづらさはこれらの特性によるものだったと振り返っています。
しかし、この障害は好都合。色彩感覚、独創性にも富んだ発想力からくる創作意欲、描き上げるための集中力これらは、絵描きとしてとても有利な才能だと現在は前向きに捉えています。
大学進学とその後の道のり
高校卒業後も仕事との付き合い方に苦慮し、転々と職場を変えるアルバイト生活が続いたという青山さんは、24歳、憧れのアメリカへ自分探しの旅に出ます。
2か月かけて大陸横断を経験し帰国しました。このアメリカでの体験が、その後のキャリア形成に大きな影響を与えたと考えられます。
ジュエリーデザイナー時代の経験
オリジナルアクセサリーショップの開業と成功
帰国後の青山さんは、29歳の時、手先の器用さだけは自信があったのでそれを生かし彫金術を極め、貯めていた貯金でオリジナルアクセサリーショップをオープンさせることになります。
もともと手先が器用だった彼にとって、ジュエリー制作は天職といえる仕事でした。
芸能人・スポーツ選手にも人気のブランドに成長
青山さんのジュエリーブランドは順調に成長し、事業を拡大し店舗数は3店舗に。芸能人や歌手、スポーツ選手にもファンになっていただけるブランドに成長しました。
独創的なデザインセンスと確かな技術力により、多くの著名人からも支持を得る人気ブランドとなったのです。
26年間の店舗経営と実績
ジュエリーデザイナーとして26年間活動した後、2019年まで長期にわたってブランドを運営し続けました。
この間に培われた美的感覚やデザイン力、そして何より「ものづくり」への情熱が、後の画家としての活動に大きく活かされることになります。
画家としての転身と活躍
画家転身のきっかけ・家族の影響
画家への転身の決定的なきっかけとなったのは、父親の存在でした。42歳の時、それまで父の夢について意識することはなかったが、自分の誕生日10月8日に「今日で父の亡くなった年齢に自分もなった、人生は一度きり、父の思いを継ぐことを人生の目標にする、50歳で画家になる!」と決心したのです。
この決心を実行に移すため、2019年6月夢を夢で終わらせないために、オリジナルアクセサリーショップを閉店。アーティスト活動に専念する生活をスタートし、独学で絵の具による制作を初めることになりました。
明石家さんまプロジェクトなどメディア出演
画家活動を始めてわずか1年後の2020年、青山さんに転機が訪れます。
日本テレビ「誰も知らない明石家さんま」「さんま画商プロジェクト」第2弾に約4500枚の応募作品の中から選出され「明石家さんま画廊」に出品した3作品は開始30以内で完売となったのです。
その後も「明石家さんま画廊」2度目の出品、出演。完売や「さんまワールド画商プロジェクト」3度目の出品、出演。オークションで最高額450万円で落札など、明石家さんまさんとの縁が続いています。
数々の個展・受賞歴・社会活動
2021年の渋谷パルコ「calif渋谷」で初の個展を開催。初日で完売を皮切りに、青山さんの快進撃が始まりました。
国内では大阪「阪急うめだ本店」で個展開催、24作品に1391の応募。完売や地元愛知「大名古屋ビルヂング」で初の個展を開催、完売など、各地で個展を成功させています。
海外でもマンダリンオリエンタル台北にてグループ展参加、初日完売やロサンゼルcoreyhelfordgalleryのグループ展「Art Collector Starter Kit X」に出品、完売など、国際的な展開も見せています。
また、日本テレビ「24時間テレビ」能登半島の復興支援のためのアート作品のチャリティーオークションに参加するなど、社会貢献活動にも積極的に取り組んでいます。
現在とこれからの活動
最新の展示・コラボレーション
2024年現在も精力的な活動を続けており、「青山哲士遊べる作品展」〜LOVE LETTER〜「阪急うめだ本店」を皮切りに全国を回る巡回展を開催しています。また、「ポルシェタイカン」を青山哲士ワールドでラッピングするなど、様々な分野とのコラボレーションも実現しています。
テレビ番組との関わりも深く、フジテレビ「ぽかぽか」タイトルロゴや公式キャ ラクター「まんぷく昼太郎」、セットデザインなどを提供や中京テレビ「あさドレ」に生出演、公式キャラクター「あさドレちゃん」をアレンジなど、メディアでの活動も活発です。
画家としての人生観と展望
青山さんは自身の人生について波乱万丈な人生を過ごしてきました。子供のころからずっと、生きにくい世の中だな、自分は社会不適合者だな、と思いながら生きてきましたがと振り返る一方で、絵を描くことにおいては、この障害は好都合として前向きに捉えています。
現在は好きな事には没頭できるので今は絵を描く事が楽しくて仕方ありません。これからも思うがままに描き続けたいと思いますと語り、純粋にアートに向き合う姿勢を見せています。
よくある質問
Q: 青山哲士さんの作品の特徴は?
A: カラフルで独創的な世界観が特徴的で、見る人を楽しませる「遊べるアート」をコンセプトにした作品を多く制作しています。
Q: 作品の購入方法は?
A: 個展やグループ展での販売が主で、多くの作品が完売となっています。最新の展示情報は公式サイトやSNSで確認できます。
Q: どんなメディア出演をしていますか?
A: 明石家さんまさんの番組を中心に、各地のテレビ局の番組にも出演しています。また、番組のキャラクターデザインなども手がけています。
まとめ
青山哲士さんは、26年間のジュエリーデザイナーとしての成功を手放し、48歳から画家として新たな人生を歩み始めた稀有なアーティストです。父親の夢を継ぐという強い意志と、持ち前の芸術的才能により、わずか数年で国内外から注目される画家となりました。
HSPやADHDといった特性を「絵描きとして有利な才能」として捉える前向きな姿勢と、「思うがままに描き続けたい」という純粋な創作への情熱が、多くの人々を魅了し続けています。今後も彼の作品と活動から目が離せません。
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